高校入試

高校入試のとき、父は何も言いいませんでした。
私は模擬試験を受け、自分で高校を探し、私立も公立も自分で受験校を決めました。
決して口を出さない父ではでしたが、お金は何も言わずに出してくれました。

今から思えば間違いだらけの高校探しだったと思います。
偏差値だけでどこを受けるか決めるような感じだったように思います。
もっと、高校のカラーやその後の大学受験も考えて選べばよかったと、今になって思います。

父は、お金を出し、母と共に祈ってくれていたと思います。
私立を受ける前、よく勉強をしました。
公立はランクを一つ下げたので、もう勉強しなくなりました。
それでも合格できました。

でも、その結果、高校では勉強をほとんどしなかったように思います。
高校三年間は、私の人生のブラックホールでした。

父が「私立に行かせておけば良かったと」言ったことがあります。
二浪したことを考えると、私立に行ったほうが良かったかもしれません。
ただ、後悔はしていません。
浪人して東京に行きたいと言った時も、黙ってお金だけ出して行かせてくれました。
二浪の時も、合格したある地方の公立大学がありましたが、
父は、その合格証書を見せると喜んでくれて、お金を出して、黙って二浪させてくれました。

大学も全部自分で探し受けました。
現役の時も、一浪の時も、二浪した時も・・
今から思えば、たくさん受けすぎたと思います。
本当にお金のかかる子どもでした。

父は口を出さず、お金だけ出してくれて、
私は、自分でいつも決めて生きてきました。

自分が父親になって、父に本当に感謝しています。
自分も子どもたちに、父のようにしてしてあげたいと思っても、全く父のようにしてあげれませんでした。

MAKOTO


posted by 20161017 at 03:27Comment(0)日記

山登りが好きになった父

父と中学生の頃と高校生の頃、山登りに行った。
それは私が誘った。
それから父は、山登りに病みつきになった。
一人でも行き、
結婚した姉の婿殿を連れて一緒に行ったりしたようだ。

愛媛の弓削島という田舎に育った父は、瀬戸内海という海で育った。
ところが、目が悪かったので、父のことを思う母が、
四国八十八ヶ所巡りに連れて行ったそうで、
山登りもしていたのだろう。

祈りつつ登り、休憩の時に、必ず賛美歌や聖歌を歌う。
初孫のこうじは、山に一緒に登ったことがあるので、
「主我を愛す」と前夜式で前奏が流れると、
おじいちゃんを思い出して号涙したほどだ。

isaiah
posted by 20161017 at 21:57Comment(0)日記

心強い祈り手

数ヶ月前、ジョイさんが癌の手術を受けられた時
私は病院に行ってました。
手術が終り少しだけの面会が許されジョイさんの所へいき
少し話した後、忠治兄、康子姉に手術が無事終わった事を
連絡して欲しいと頼まれました。

電話すると忠治さんが出られて
「ああ、終わりましたか。良かった。」と
おっしゃいました。
その声は私が電話する前までず〜と祈られていた
雰囲気でした。
手術が始まってから連絡があるまで康子さんと
共に祈っていて下さったのです。
本当に忠実な祈り手でした。

主の十字架クリスチャンセンター 長崎教会が
設立されてからずーと祈って下さり
その祈りの土台の上に今の神のしもべ長崎教会があります。
今も天で執り成して下さっている事を思います。 シオン
posted by 20161017 at 14:42Comment(0)日記

ずっと以前、何かは忘れてしまいましたが、大きな聖会があり、
忠治さんご夫婦が、そのために大阪から来られました。

私は、最高に落ち込んで、疲れてボロボロ、そして孤独でした。
これも何故だったか忘れました。

まだ聖会が始まる前で、
平和会館ホールの、一番後ろに、ボーッと座っていました。
すると、突然、私の肩に大きな手が置かれました。
黙ったまま、ジッと…
温かくて、涙がポロポロ出ました。

忠治兄弟が来られたなとわかりました。

その日がいつか、何の時か、記憶から薄れてしまったくらい以前の出来事ですが、
あの瞬間だけはハッキリ覚えています。

何十秒かたつと、
私のコチコチだった肩の凝りがスッキリなくなってしまいました。
びっくりしました。

忠治兄弟は、
たくさんの患者さんをこうして直してきた鍼灸師さんでした。
祈りながら治療するんだといつか話してくださいました。

手を置いただけで直してしまうなんて、プロって凄い!と思いましたが、

いや。手を置いて祈ってくださったんだとすぐわかりました。
Joy
posted by 20161017 at 09:22Comment(0)日記

弓削島

忠治兄は、瀬戸内海の弓削出身と聞きました。
私たち夫婦は、三原と尾道の出身で、
弓削は、隣の県になるのですが、3つの町は、それぞれ近くに位置しています。
というわけで、尾道出身の私には、
尾道の思い出を話してくださったことがありました。
大阪から帰省される時、尾道で汽車を降りて、船に乗ったとか、
桟橋の近くには、・・・があったとか。
sakai


posted by 20161017 at 20:56Comment(0)日記

後ろ姿

忠治兄が長崎におられた頃、いつも杖をついて、ゆっくりと教会まで歩いて行かれていました。その歩いておられる後ろ姿が印象的でした。
その後ろ姿から、いつも(きよらかだなー)という印象を受けていました。なぜだろうと思って祈ると、それはいつも聖書を読んでいるからーという答えが来ました。
いつも聖書のみ言葉が、絶えず心の中にあり、神様といつも交わっておられるんだろうなという感じでした。
今でも、暖かいその後ろ姿が目に浮かびます。そして教えていただいたことです。 ヤマモト
posted by 20161017 at 17:15Comment(0)日記

家庭祈祷会

心の中に一番残ってるのは、何と言っても
忠治宅での「家庭祈祷会」です。
まだ長崎におられる頃、月に一度家庭祈祷会の
担当になっていて忠治さん、康子さんと共に
祈りました。

忠治さん、康子さんの事、イザヤ牧師御夫妻の事
木原家8人の子供達一人一人、娘さんである
Aさん、Nさん、そのご家族の事、
あっ!と言う間の2時間でいつもいつも時間が
足りませんでした。

そしてショートメッセージも真剣に聴いて
下さいました。
もう一度御夫妻と一緒に祈りたいと思っていました。
もう一度御夫妻と共に礼拝したいと願っていました。
今度は天でイエス様の前で共に礼拝できることを
待ち望んで行きます。 シオン
posted by 20161017 at 13:06Comment(0)日記

小学生の頃〜「道明寺」での写生

小学生の頃、
父と一緒にキャンパスを持って、
近鉄の電車に乗って「道明寺」という駅まで行きました。
そこで降りて、少し歩いて写生をするのです。

姉も一緒でした。
姉によるとお弁当を持って、手を繋いで行ったそうです。
わたしは、そこらへんはよく覚えていないのですが、
写生したことはよく覚えています。

絵を描いている時の父は穏やかでした。

そして行きと帰りの電車の中も楽しかったです。

目が悪く視力が弱かった父なのに、なぜか絵を描くことが好きでうまかった父です。

帰りには、夏だとアイスを食べました。
かき氷も食べたような気がします。
秋とか春にも何か美味しいものを食べたと思います。

一年に一度は必ず行きました。

自分が父になってから、
自分の子どもたちには、
そういう思い出を作ってあげれなかったので、
申し訳なく思います。

posted by 20161017 at 18:50Comment(0)日記

クリスチャンとうさん


私は、自分の父と忠治兄弟を見比べては、
ああ〜
「うちの父親が、あんなおとうさんに
なってくれたらなぁー」

そう、心の中で言っていました。

低い…という言葉がぴったりでした。

長崎に住んでおられた時、
御宅の家庭祈祷会に行くと、
いつも、きちんと部屋が整えられ、
ご自分の娘さんと同じ年齢で、
しかも、クリスチャンとして生きてきた年数も、ご自分よりはるかに短い
私などが語るメッセージを、
熱心に熱心に聞き入って、
受け取ってくださいました。

こちらが
神様を恐れてしまうほどでした。

そして、いつも
おっしゃいました。

深々と頭を下げて、
「真を宜しくお願いします。」

外交辞令ではありません。

本当に、
もう…
すがるような目です。

いえいえいえいえ….そんなそんな…

思わず飛びのいてしまいそうな程です。

あれは、私に….
というより、
忠治兄弟の、神様への切なる祈りだったのでは…と今、わかりました。

おとうさんは、
思わず
だれかれかまわず、
頭を下げてお願いしてしまわざるをえないほど、
一人息子でいらっしゃるイザヤ牧師が、
主に従えるように、
いつもいつも祈っていらっしゃいました。

昔は短気で怖いお父さん…

そんなかげりも見えない
憧れの
クリスチャンとうさんでした。
Joy
posted by 20161017 at 06:43Comment(0)日記

父の思い出〜幼い頃

幼い頃、父は怖かった。

とても愛情は豊かな人でした。

でも、一旦怒り、「まこと」と父が叫ぶと、
私の体はこわばり身動きできなくなり、涙が出てきた。

父は短期で感情的な人でした。

怒ると本当に怖かったです。

前夜式の時、私より7学年、6歳上の一番上の姉が、
「孫たちにとっては、
 おじいちゃんは優しいかったかもしれないが、
 私には、やはり怖くて厳しかった。」
と言ったのが、印象的でした。
姉は十字架を背負ったのだと思います。

父は、歳を取り、とても優しく、柔らかい人に変わっていきました。

私の妻は
「結婚して良かったのは、舅と姑さんが良かったこと」
と真顔で言いいます。
妻の本音だと思います。
確かに父は変わりました。

いろんなことがありましたが、
64年間?、教会から、キリストから離れなかった父。

母といろいろとぶつかり喧嘩もしながら、
それでも62年間、向き合い続けた父、

だから神様の愛の中で、
父は変えられて行ったのでしょう。
イエスさまの恵みは尽きず、
聖霊さまの助けを受けて、
父は長い年月をかけて、キリストに近づいていつたのだと思います。
posted by 20161017 at 18:33Comment(0)日記